b7a00618.JPG写真は、さだまさしの「帰去来」というアルバム。
グレープ解散後、初めてのソロアルバムだ。
このアルバムは、姉弟でそれこそ擦り切れるほど聴いた。
「さだまさし」は、独特の世界を展開している。
有名なヒット曲を持ち、コアなファン層を持っているけれど、ヒット曲(関白宣言、北の国からなど)=コアなファン層が好む曲ではないのだ。
コアなファン層が好む曲が、所謂さだまさしワールドの王道といえる。
(主人公、つゆのあとさきなど)
今、思い出すと、それら王道の曲は「なんかな〜」と言うか、確かに良い曲なんだろうけれど、ちょっと引いてしまう。
そんな中で思い出したのが、帰去来というアルバム。
先日、CDを購入した。

子供の頃、このアルバム中の「転宅」という曲が大好きで、いまでも頭にこびりついていたからだ。

さだまさしは、幼少の頃、裕福な家庭に育ち、大邸宅に住んでいたという。それが、大水害で親の事業が失敗し、小さな長屋に引っ越すことになる。裕福な暮らしからの急転直下。そしてそこから這い上がる人生。
その時の情景を子供ながらに感じたことを歌ったのが「転宅」という曲だ。

なにやら辛気臭いし、家で繰り返し何度もこの曲を聴く小学生のkumaに対し、両親も当時中学生だった姉も止めようとしたのを覚えている。

で、当の本人は、その辛気臭い歌詞ではなく、その曲調やサウンドにノックアウトされたのだ。終末観、絶望、それらが自らの辛かった体験を歌うことで見事に曲調に反映されていた。
朋友吉田正美らが奏でるアコスティックギター、そして、さだまさし本人が奏でるバイオリン。これも名演だ。
子供ながらに胸を熱くしながら聴いた。

もう一曲印象に残っているのが「胡桃の日」という曲。スリリングな演奏と松原正樹のエレキギターはめちゃくちゃカッコよく、その後ロックを聴くきっかけともなった。

とはいえ、言っちゃ悪いが、今聞いてみると、やはり当時の日本の音楽だ。
セッションミュージシャンの腕前はともかくとして、録音技術などは未だ未だ遅れていたことが良くわかる。
このアルバムが発売されたのは1976年。Queenで言うと「華麗なるレース」、Led Zepelinでは「フィジカルグラフィティ」の後だし、Yesでは「リレイヤー」の後だ。ジャンルは違えど差は大きいと思う。

そう考えると、今、この「帰去来」を万人向けに薦められるかと言われればそうではない。歌も上手じゃないし。
出版側もそれを知ってのことか、このCDもライナーノーツが不完全だ。当時のレコードにはセッションミュージシャンのクレジットがあったのに、このCDには書いていない。確かピアノは羽田健太郎が弾いていたと思うのだけれど、残念ながら思い出すことができない。

ただ、発売から29年経って、今まであえて目を塞いでいた自分の暗い過去(?)でもある「音楽のルーツ」と向き合うことが出来た。

さだまさしのその他のアルバムを買う予定は、無い。