定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?

ある方のお薦めで、この本を読んでいる。非常に面白い!
ただし、まだ途中だ。片道20分足らずの電車に乗っている時間だけで読んでいるのでナカナカ進まないという事情もある。

冒頭部分には東京の電車が2〜3分置きに定時運転するラッシュ時の様子について書かれている。そこに「秒単位で正確な鉄道は、鉄道員の努力ばかりでなく、大勢の乗客の乗車テクニックにも支えられている。」(本文引用)とある。

これ、まさにその通りだ。
けれど、東京で生活していたら、この「乗車テクニック」は自然に身についていくのではないかと思う。

例えば・・・「降りる人が優先」これは当たり前だ。でもこれは「乗る人」からしてみたら、ドアが開いたときに「降りる人」が居なければ、乗って良いことをも示している。「あ、降ります降ります」と乗る人の波に反して降りようとする行為は、流れを妨げる行為=遅延行為=迷惑ということになると思う。
故に、電車が駅に到着するまでには、ドアの前に到達していなくてはならない。あるいは、「自分とドアの間の人は皆降りる」ような状態にしておかなくてはならない。

こういった「暗黙の了解」は広島では通用しない。当初広島に来た時、混雑する電車の中は非常に居心地が悪かった。
例えば・・・、駅に着く前から、ドアの近くに立ってる人に、後ろから「降ります光線」を出しているのに全く気づかない。「あ、この人も降りるんだな」と思っていたら、ドアが開いても全く動かない。「降ります」と言っても動かない。「避けて通れってか? 皆降りるんだよ。あんたが一回降りろよ。」
これ、東京でやったらどうなるか。「乗る人」は、「降りる人いない」という判断で一斉に乗ってくる。「降りる人」は勿論強引に降りる。ドアに立つ人を挟んで2つの流れがぶつかることになり、非常に危険なのだ。また、淀んだ流れを作ってしまい、定時運行の妨げになる。

その他にも「暗黙の了解」は数々あるのだけれど、混雑する不快な車内で、なるべくお互いが快適に過ごせるようにするように、そして遅延無く、早く目的地に到着できるように確立されたマナーだと思っている。

電車だけではなく、道路交通もそうだ。
東京の道路建設は、計画性も無く発展が遅れていることは本書でも取り上げている。さらに交通量は非常に膨大だ。渋滞は想像を絶するものがある。そんな不快な道路の上で、なるべくお互いが快適に、円滑に、そして遅延無く、早く目的地に到着できるようにマナーが確立されたのでは無いかと思っている。

このマナーも広島では通用しない。
例えば、すれ違い(離合)のケース。こちらが優先の場合でも、相手を先に通した方が効率的な事がある。勿論その場合は道を譲る。そして譲られた方は手を上げるなどで「サンキュー」。これが普通だと思っていた。
しかし、この「サンキュー」が無いケースが非常に多い。向こうが優先のケースならさておき、こっちが優先のケースだ。「こっちは下手に出て譲ってやってんのにいい気になりあがって。てめえ何様だ!」と思ったりもする。

まあ、そんな理不尽な時は、以前も書いたけれども、車内で怒鳴ることにしている。無用なトラブルを起こしても仕方ないからだ。
フッフッフ。大人だなあ。