聖なる館ジャケ1973年発表のレッド・ツェッペリンの5枚目のアルバムだ。
「ZEPに駄作なし」と言われるように、このアルバムも完成度は高く、評価も高いし、ZEP最高傑作に上げるファンも多いという。
でも、残念ながら個人的にはあまり好きなアルバムではない。「永遠の詩」「丘のむこうに」「ノー・クオーター」「オーシャン」「クランジ」あたりはライブ演奏の方が好きだし、「レインソング」も何回も聴きたくなる曲ではないし、ライブで演奏されないレゲエ調の「デジャー・メイクハー」も、歌詞が解る英国人は面白いだろうけど(英国人が読むとジャマイカと聴こえるらしい)、日本人としてはあまり面白くない。
要は、熱烈に再び聴きたくなる要素がZEPの他のアルバムに比べて少ないアルバムなのだ。
では、何故ここに取り上げるのか?
私めが小学生低学年の頃、勿論まだロックに目覚める前の前の頃の話だ。

父がこの「聖なる館」のレコード盤を家に持って帰ってきたのだ。

勿論、家族全員、このレコードが「聖なる館/レッド・ツェッペリン」であることを知るわけがない。
私めが小学生低学年の頃の日本といえば、ロックなんてウルサイ騒音で不良の象徴。買わない・聴かない・演らないの3ナイ運動があったかどうか知らないが、そういう風潮があったことは確かだろう。大人にしても、普通のサラリーマンがロックを聴くなんてご法度の時代だっただろう。
私めの家も例外にもれず。子供のころロックのレコードなんて一枚も無かった。

それが、何故持って帰ってきたか。

どうやら会社帰りの電車の中で、酔っ払いの人に話し掛けられ、適当に話をあわせていたら、酔っ払いの人が感動してこのレコードをくれたというのだ。
大人になった今なら、その状況は何となく解る。しかし当時は小学生低学年だ。誰がレコードをくれたのか、何故レコードをくれたのか、当然ながらその状況は全く理解できなかった。

しかも、このレコードのジャケット、妖しい色調の中、素っ裸の女子が岩場を登っているのだ。
これは公序良俗上マズイだろう。

でも、せっかくもらってきたのだし、レコードプレイヤーの上に乗せて家族で聴いてみた

一曲目は「永遠の詩」
前作までの重厚なサウンドとうって変わって軽快なサウンドだ。ボンゾのドラムも後ろに引っ込んでいる。
しかし、その時は軽いギターの音が、虫の音か何かがチャラチャラ鳴っているとしか思わなかったのだろう。声は変なイコライジングが掛かっていて変な声になっている。クラッシック音楽の勉強をしていた姉は一言「なんだこりゃ」。

二曲目は「レイン・ソング」
バラード曲で、メロトロン(鍵盤を押すとその音程で録音されたテープの音が流れる楽器)によるストリングスを大々的に取り入れた曲だ。
しかし、これも、さだまさしなど、日本のニューミュージックは、生ストリングスを使っていた時代だ。それに比べて見劣りしてしまったのは止むを得ない。途中で止められてしまった。

かくして、当時英国No.1バンドの全米1位に輝いた名作は、私めの幼い頃の実家では完全にこき下ろされ、2曲目の途中でターンテーブルから下ろされてしまう。
そして、掃除のたびに「これどうする?」と捨てる捨てない協議の対象になってしまうレコードとなってしまったのだ。

ああ。合掌。

その後、私めも成長し、中学生になってからZEP中毒に掛かってしまうのだ。
中毒に掛かった当時は、このアルバムの存在は忘れていた。

ZEP中毒の原因は、あるFM放送の番組だ。これは毎週レッド・ツェッペリンのアルバムを1枚づつ全て流してくれるという、非常に良心的な番組だったのだ。
というのも、当時、日本では、今ひとつレッド・ツェッペリンは盛り上がっていなかったように思える。解散後ということもあったけれど、元々日本では、ハードロックも、メロディーが解りやすいディープ・パープルやレインボー、マイケル・シェンカーなどの人気が高かったように思える。渋谷陽一というコテコテのZEPファンの評論家はいたが、彼もまたジミー・ペイジやロバート・プラントの解散後の活動に明らかに不満を持っていた。
このFM番組が放送されたのは、そんな事情もあったのかもしれない。

でも、このFM番組で4枚目までをエアチェックして、完全にZEP中毒に掛かった私めは、これが、あの素っ裸の女子が岩登りをしているジャケットのアーチストだとは思わなかったのだ。

ある日、姉に「最近何聴いてんの?」と聞かれ、
「レッド・ツェッペリン」と堂々と答えた私めに・・・、

「げ〜っ、あのレコードの?」と驚嘆の反応。

そうか。あれはこれだったのか。

なんだ。次の週に流れる筈のアルバムが手元にあるじゃないか。

そう考えたら、もうそれ以降の全てのアルバムをレンタル屋に行って借りて録音するまで2日と掛からなかった。

そこから私めのZEP中毒は、更に拍車が掛かったのは言うまでもない。

中毒と書いたが、本当にレッド・ツェッペリンの音は中毒性があるのだ。

何より根底に流れるジョン・ボーナムのドラム。これは唯一無比の音なのだ。頭の先から延髄を通り抜けて腹の底まで響く。
そこにジミー・ペイジのギターが乗る。乗るというか喧嘩しているというか・・・。良く言うと繊細で、悪く言うとヘタクソでジャカジャカしたこのギターも、ずっと聞いていると、心を高揚させるリフやフレーズをビシバシと奏でてくれる。
そして、ともすれば、ドラムとギターが喧嘩してどっかへ行ってしまいそうなのをしっかりと繋ぎ止める、ジョン・ポール・ジョーンズのベース。
それにロバート・プラントの高音ボーカル。

バンドは化学反応であると良く言われる。メンバーお互いがお互いを刺激し切磋琢磨し合い、いい音楽が生まれるのだ。
が、これだけ顕著な例はレッド・ツェッペリンの他に無かろう。

そして、オフィシャルアルバムに飽き足らない私めは、ブートレグ(海賊版)の世界へも入っていった。ブート版もレコードからCDへ移行したこともあり、買いやすくなったというのもあるけれど。
ブート版を聴いて、尚更レッド・ツェッペリンが好きになった。
というのが、同じツアーでも、日によって演奏が全く違うのだ。その日の雰囲気や体調で出来不出来が決まる。何と人間的なのだろう。
ジミー・ペイジは間違えてばっかりでヘタクソだし、ロバート・プラントも後期になると全く高音が出ない。ジョン・ポール・ジョーンズは凡長なキーボードソロを繰り返すし、ジョン・ボーナムも一人で突っ走ったり。
所謂、譜面通りに演奏するような正確さは微塵もない。でも、その中で心を打つ演奏があるのだ。それもレッド・ツェッペリンの魅力なのだ

一部はロック友達の何人かに聴かせたが、おおむね反応は良くなかった。「俺の知っているツェッペリンはこんなんじゃない」とまで言う輩もいた。でも、そう言われると、更にZEPが好きになった。

ブート版に関しては出版自体が犯罪行為だし、それを聴くことに対しても賛否両論あるけれど、かつてブート版で聴いたようなライブが、今になってオフィシャル版で発売されている状況なのだ。

スタジオ録音版と、「狂熱のライブ」しか聴いたことの無い方は、ここ数年で発売された公式版のDVDやCDを通じて、是非ZEPのライブに触れて欲しいと思う。