転勤で広島に赴任して来たのは1998年の7月21日。30歳の夏であった。

すなわち今日が広島に赴任してきて10周年ということになる。
ということは人生の1/4をここ広島で暮らしたということになるし、多分人生を終える時も、多分人生の1/10以上は過ごすことになるのであろう。
10年ひと昔というけれど、10年前に使っていた携帯電話は3万円で買ったD201。勿論ほとんど通話オンリー。重さは120gくらいあったはずだ。それでも2番目に軽かった。一番軽いP201(100gを切っていた)は5万円していたので手が出なかった。
その後携帯電話にカメラがついて、iモードやらでメール送受信やネットも見れるようになった。思い立ったらそこで写真を撮ってブログにアップしたりもできる。10年前では考えられなかったな。

東京駅から広島へ旅立つ新幹線は「のぞみ」号に乗った。「のぞみ」と「ひかり」が混在している状況で、確か原則「ひかり」料金しか会社からは出なかったような時代だったけど、広島に「のぞみ」を託すという意味で「のぞみ」号に乗ったのを覚えている。
発車と同時にクイーンのイニュエンドゥを聴いた。音を鳴らしていたのはMDプレイヤーだった。
今使っているのはコレだ。MDってメディアも命が短いな。
広島にまもなく到着という時に、ショウ・マスト・ゴー・オンに曲を変えた。一発選曲はMDだからなせる業だった。中学生〜会社に入った頃まで使っていたカセットテープでは、一発選曲はできなかった。巻き戻しと頭出しが必要だったのだ。
でもMDも、1枚のメディアには80分しか入らないから、何枚もMDを持ち歩かなくてはならなかった。今は何枚もメディアを持ち歩かなくてもいい。

それに、東京から広島に来て生活がかなり変化した。
まず通勤からして変わった。東京では、家から最寄の駅まで10分歩いて、満員電車に揺られて20分、地下鉄に乗り換えて20分、会社まで歩いて10分、計1時間だったのが、広島に来てからは、家から最寄の駅まで歩いて3分、ガラガラの電車に乗って10分、会社まで歩いて3分。計15分程度。(今は引っ越して少し伸びたけど)
外勤も重いカバンを持って最寄り駅まで10分歩いてそれから電車だった。電車を乗り継いで最寄り駅から訪問先まで歩いたし、福島や長野への往復も新幹線だった。これが広島に来て、ビルの駐車場から車で出かける生活になった。すなわち全く歩かなくなったのだ。
休日も一人暮らしだったので、食べたいものを作りたいだけ作って食べる生活になった。「土日で飲もう!」と買うロング缶6本パックは、土曜日のうちにあっという間に無くなった。勿論、日曜日もロング缶6本パックを買って飲んだ。

広島に来て体重は激増した(笑)。
今は戻したけどね。

思い出せば、10年前はバブル後の不況真っ只中で、広島に来た当初は仕事も非常に苦労したのを覚えている。けど、まあ、それでも、なんとかなるものだなと思い出す度にそう思う。
そういえば10年前は、パソコンだって会社の携帯電話だって「何人かに1台」しか無かった。取り合いだったのだ。それがパソコンも携帯電話も1人1台づつの時代になって、それが当たり前になった。パソコンや携帯が無かったら仕事にならないし。

昨晩、6月末に転勤になった同僚が家族みんなで遊びに来てくれた。
広島に13年勤務して栄転となる。子供が夏休みの間に引っ越すそうだ。そんな忙しい中遊びに来てくれた。ここ暫くは、自分より後から広島に来た人がどんどん転勤して行った。それも複雑ではあるのだけれど、この度自分より先に広島に居た人が転勤になると、それはそれで考えさせられることもある。
昨晩は随分飲んだ。カミさんの料理も喜んでもらえたようだ。明るいうちから飲み始め、ビール20本があっという間になくなった。更に同僚一家が帰ってから、カミさんと白ワイン1本空けた。

さてと、あと何年広島にいるのだろうか。

あと何回大鬼谷に行けるのだろうか。
近くの山にあと何回登れるのだろうか。
いつまでお好み焼きを食べれるのだろうか。
小いわしや牡蠣は・・・。

少なくとも、広島に居ることの楽しみのひとつである市民球場は、今年でなくなってしまう。残念だ。
新球場になって暫くは混むだろうから行きづらいな。しかも、ビジター席は思いっきり冷遇されているようだし。

まあ、何事も変化していくのだと。