January 18, 2010

球児の顔 升井紘著

PICT0001先日、愛読させて頂いているブログ、升井紘の「なんでも辛口」で、ホームページ升井紘の気ままな空間のアクセスカウンターが10000になりそうなので、10000のキリ番を踏んだ方にプレゼントを頂けるという告知があった。
踏んでみたら9990だったので残念!と思ってコメントを入力させて頂いたら、なんと参加賞を頂けるとのこと。厚かましくも送り先をメールさせて頂くと、なんと、升井さんの著書「球児の顔」を送って頂いた。
これはビックリ。
参加賞というと、商店街の福引きなんかではポケットティッシュなどが定番であるから、それと比べたら失礼なのだけれど、あまりの格差にビックリ仰天。
週末に読ませて頂くことに。
メールでお礼を書かせて頂いたけれど、良く良く考えて見たら、升井さんのブログを見た第三者が、私めを語って送り先をメールで送ることだって可能だ。
そしたら、送り先=kumaとは限らないじゃないか。
そんなことを升井さんが心配してたらどうしようか。そういう思いもあって、しっかり読ませて頂いてから記事にさせて頂こうと。

内容は細かくは書けないが、とても楽しく、そしてあっという間に読ませて頂いた。

「球児の顔」と「鬼子母神の顔」の2本立てとなっている。
私めは東京から広島に来た人間だ。だから故に2本とも興味深く読ませて頂いた。文章は勿論、内容も面白く一気に読んでしまった。私めにも高校時代があったな。この本を読んで色々な思い出が蘇って来た。
その他、内容からして、もしかしたら升井さんが私めが読むに相応しいと選んでくれたのでは無いかと思ったほどだ。

升井さん、本当にどうもありがとうございました。

「球児の顔」を読ませて頂いて思い出したことを忘れないうちに少し書いておこうと思う。
長文および私事で申し訳ないが。

私めも高校サッカーをやっていた時代があった。
私めが1年生の時の3年生は強く、全国大会出場も期待されていた。
関東大会都予選は決勝まで進むも決勝戦で帝京に0-3と惨敗。インター杯都大会は準決勝で暁星に2-0とリードするも終了間際に逆転負け。一週間後、帝京との第二代表決定戦に1-4と惨敗。
そして全国高校サッカー選手権の都大会は準々決勝で修徳に0-3と惨敗してしまった。

私めの代は暗黒時代だった。東京都は高校の数が多い。都予選の前に地区予選というのがある。この地区予選を勝ち抜くのが精一杯だった。気がつけばレギュラーポジションやベンチ入りの選手の半数以上は下級生に占められていたし、私めも試合中は下級生に指示を出されて動いていた。地区予選の第二戦、弱小都立高校に11-0というスコアで勝った時、それの11点は1年生が9点、2年生が2点取ったもので、我々3年生の得点が0だったという象徴的な試合があった。
それでも当時は勝てるだけで良かったのだが、残念乍ら地区予選決勝戦で日野台にPK合戦で敗れて私めの高校サッカーは終わってしまう。

が、この下級生がやってくれた。我々が3年生の時の1年生。既に何人かレギュラーだった選手達が3年生になると、全国高校サッカー選手権の都大会の決勝戦に駒を進めた。
決勝戦は関東ローカルながらテレビ放送がある。が、大学2年生だった私めは、OB達と一緒に西が丘サッカー場に足を運んだ。OBや在校生の応援団でスタンドは埋まった。サッカー部の同期も全員確認できたし、先輩後輩、担任だった先生にも会うことができた。
結果は0-2で帝京に負けてしまうのだが。
グラウンドを縦横無尽に走り回る鍛え抜かれた帝京の選手に対し、途中で足をつって倒れてしまう我が方の選手たち。あれだけ走り込んだ筈なのに。
力の差は明らかだった。
ナカナカ全国大会は遠いのだな。

その後、再び暗黒時代へ突入し、もう年代も離れてしまってから、試合の応援にも練習へも行かなくなっていた。

大学に通って暫く経過した時だ。
OB会から一枚の葉書が来た。それは全国高校選手権の「都予選決勝に応援に行こう」という葉書だった。
おお、5年の月日を経て再びチャンスが訪れたのだな。
学業不振だった私めはようやく最終学年にたどりついていた。3年留年し7年生だった。
当時の研究室の教授は非常に厳しく、月〜土の朝から晩まで必ず研究室に行かなくてはならず(時には終夜もあり)、ファシストで頑固でしかもお年を召しておられて、時に理解不明で支離滅裂な言動を繰り返し、いつも我々学生達を混乱に陥れていた。なので我々学生達は遊びに行くのもままならず、学生達はそのストレス発散方法を先生が帰宅された後のエタノールに求めるという荒れ果てた有様であった。

当然、無断で見に行くことは許されない。バレたら他の学生に迷惑が掛かる。
先生に直訴した。
すると意外にもアッサリと見に行くことを許してくれた。その教授は実はいい人なのではないか。そう本気で思った。

地下鉄に乗って西が丘サッカー場へ。
同期のメンバーは、既に就職して社会人になって忙しい時だった。特にその頃はバブルが弾けた直後で、就職活動も困難を極め始めた頃だ。5年前の西が丘とは違い同期は1名だけ、近い年代のOBは数人しか見かけなかった。が、見に行って良かった。

5年前と比べ選手のレベルも試合のレベルもかなり上がっていたが、この時も残念乍ら東海大菅生に勝つ時はできなかった。

その後、めでたく今の会社に就職。
5年後、広島に転勤。

カミさんとの結婚の直前に、高校サッカー部の先生/監督が退官されるので、そのパーティーが開催されるという案内が来た。広島から東京に駆けつけた。
ホテルの大広間で各世代のOBが集まっての立食パーティーだった。軽く300名は集まっただろうか。司会者の紹介に合わせて登場した先生を盛大な拍手で迎えた。先生は開口一番「夢を見ているようだ」と話した。
その後の記念撮影では先生の隣に座ることができた。
私めを見た先生は「◯◯か。太っちゃったなあ〜」
周囲は大爆笑。

その時に集まった同期と談笑。当時の話をした。
冬の地区予選を勝ち抜き臨んだ春の関東大会の都予選。初戦で0-1で負けてしまったが、失点はF君のオウンゴール。速いパスをカットしようと出した足に当たったボールがキーパーの逆をつき、フラフラとゴールに。これは仕方なかった。
その後の反撃。S君がコーナーキックから直接ゴールを決めたにも関わらず、ゴール前にいたU君がキーパーと接触していたのでキーパーチャージを取られ得点は認められなかった。が、キーパーを妨害しなくても決まる素晴らしい弾道だった。
私めが右サイドをオーバーラップをした時にパスが来たのだがトラップミスしてしまい、ベンチから強烈なヤジが来たこと。その後すぐに取り直して奇跡的に矢のようなクロスボールを上げるが、中央で待っていたE君が頭で合わせ損ねてボールはクロスバーの上を通過していった。
この2点が決まってれば勝てたんだ。あれからウチらの代はおかしくなってしまったと。
「お前、あの時の事良く覚えてるなあ・・・」

サッカーをやっていて良かった。

・・・・・・・・

実は、他にも色々と思いだしたことがあるのだけれど、あまりに長文になってしまったので、後日書く事にする(笑)。

つづく

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kumadays at 08:06│Comments(0)TrackBack(0) 書籍・新聞 | その他スポーツ全般

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