3月上旬に銚子へ仕事に行く機会を得た。銚子駅まで行って現地の仕事仲間に迎えに来てもらう予定だったが、少し時間に余裕があったので、ワガママを言って銚子電鉄に乗せてもらうことにした。
東京駅地下ホーム7時37分発の特急しおさい1号で一路銚子へ。銚子駅には9時30分に着くから約2時間の旅。電車の旅は快適である。パソコンで仕事も出来るしデッキで電話も出来るしiPhoneで遊ぶことも出来るし寝ることも出来るし飲んだり食べたりも出来る。
銚子駅のホームの先端に銚子電鉄の乗り場はある。しおさい1号から接続して発車する電車があり、数人乗り換える人がいた。
反対側を見るとJR総武本線の普通列車が停まっていた。房総ローカルの車両も113系から211系(東海道線等のお古)や109系(京浜東北線等のお古)への置き換えが進んでいる。勿論編成は短く刻まれている。
銚子電鉄の電車はコチラ。
おやおや、これは地下鉄銀座線2000系のお古だな。
しかし、そういうのが一発で解ってしまうのもどうかと思うけれど、こればかりは三つ子の魂百迄なので仕方ない。
犬吠埼の方に伸びる線路。
ココから先は架線の電圧は600Vだ。
後ろを振り返ると長大なJRのホームがある。
JRから銚子電鉄への線路は続いている。が、架線の電圧が違うので、現在の設備では直通運転を行うことはできない。
電車に乗り込んだ。いやあ懐かしい。
この非常灯!!
地下鉄銀座線は架線が無く、第三軌条から台車についた集電シューで電気を得ていた。要は2本の線路の外側に電気を流しているレールがもう1本敷いてあるということ。で、どうしてもポイント通過時にはその第三軌条が途切れて停電状態になるので、起終点を始めして電車の中が真っ暗に停電することが良くあったのだ。その時にこの非常灯がピカッと灯くのだ。これは同じ方式だった丸ノ内線でも見る事が出来た。
なので、この非常灯はとても懐かしい。
今では考えられない事ですなぁ。銀座線に新型車両(01系)が導入される時、走行中の停電が無くなるというのが評判になっていた覚えがある。
昭和34年製。私めよりも年上だ。
何より製造後50年を超えているのだ。スゴいな。
銚子電気鉄道線は路線延長6.4kmの弱小私鉄だ。
かつては貨物輸送もあって小さい電気機関車があったが、現在は旅客運送だけだ。
多くの地方私鉄が廃線になっていく中、この銚子電鉄が生き残っているのは奇跡と言えるかもしれない。しかも1時間に2本程度の運行を行っている。観光客以外にも地元の足として使われているのだ。
車掌さんから切符を買った。
いざ出発。
いやあ、いいですな。
途中駅で列車交換があった。慌ててiPhoneを構えたが間に合わなかった。京王2000系のお古だ。調べたら伊予電鉄に一旦譲渡されたものを更に譲り受けたらしい。塗装は京王線時代のカエル色になっている。考えてみたら昔京王線は600Vだったから、その特性を大いに生かした譲渡というわけか。軌間は1372mmから1067mmに変更されているけど。
反対側の運転台は伊予電鉄時代に作られたものらしい。京王5000系チックで懐かしいな。せっかくならアイボリー色に塗って欲しかった。
カエル色ばかりだった京王線の中でアイボリーの5000系はとてもカッコ良く見えた。当時は井の頭線もカエル色の電車が走っていたから、ステンレスコルゲートの3000系が来たらそれはそれはカッコ良かった。何より3000系も5000系も冷房がついていたから。
今では考えられないが、冷房車がもてはやされていた時代があったのだ。
閑話休題。家や木々が迫って来るところもあれば、こんな田園風景の中を走る所もある。この6.4kmを20分くらい掛けて走る。
残念乍ら海を見ることは出来ないが、ナカナカ楽しい6.4kmでないかと思う。
終点外川へ到着。
いい風情の終着駅だ。
あれがレールの終点。
行き止まり線の車止めはいつ見てもいいですな。
今度は車止めの後ろ側から。
その手前の転轍機。Sのマークはスプリングポイントであることを意味する。人間による動作が無くても常に定位に戻る。要は設備としてスプリングポイントが2つあれば列車交換が可能になるので、ローカル線では良く採用されていた。
けど、この転轍機の表示を信じる限り、反位で停まったままになっている。あの表示が水平方向に90℃回転した状態が定位なのだ。スプリングポイントは常にスプリングで定位に戻る構造になっている筈なのに。
元々、機廻し線(終着駅で先頭の機関車を反対側に付け替える線)としてのポイントだったから、貨物輸送終了とともにメンテナンスしなくなったのかもしれない。そういえば反位の方が1番線(ホームがある)だし、スプリングを殺して反位に固定しているのだな。
駅舎はこんな感じ。
いやあ、いい感じですなぁ。
出札口。いつでもロケに使えそうだ。
おお、好きなのですな。
駅から少し歩いたら海が見えた。
正面は漁港で観光地ではない。
観光地の犬吠埼へは1つ前の犬吠駅で下りる必要がある。
周辺はこんな感じ。
澪つくしと濡れ煎餅が銚子電鉄を救ったのだろう。
色々と写真を撮っていたら、仕事仲間のニイちゃんから連絡が入った。外川駅まで迎えに来てもらうことにした。
午前中に仕事を1件してから昼食。
漁港の周辺で食べた。
かじきとかつおとカンパチ。
いやあ、やはりウマいですよ。
もう、午後の仕事を放棄して飲んでしまいたいくらいだった。
銚子は日本有数の漁港だ。南から来る黒潮と北から来る親潮が交わる潮目に近く、色々な魚が獲れると小学生の頃に習った覚えがある。
心なしか、広島の瀬戸内海に向かう漁船よりもゴツく見えた。
やはり太平洋の荒波は激しいのか。
午後の仕事まで少し時間があったので、犬吠埼へ。
いい天気ですな。
ちょうど太平洋に突き出しているような地形なので、ぐるっと180度以上海を見渡すことができる。
洗濯板のようになっている所まで降りて行く事が出来る。
左の方に歩いて行ったら浜が見えた。キレイだな。
灯台もキレイ。
どうやら登ることができるようだ。
せっかくなのでお金を払って灯台に登ることにした。
99段の螺旋階段を登るらしい。
まあ、大したことないな。
コッチは毎朝100段くらい地下鉄の階段を登っているのだ。
とはいえ、この狭い階段を登って行くのはツライかも。
閉鎖感もあるし、前から人が来たらどうしようかと思った。
おお、もうすぐか。
最後はこんな梯子みたいな狭い階段から外に出る。
この上でライトがグルグル回っているのだな。
おお、絶景ナリ。
登った苦労を忘れてしまいそうだ。
車を停めたあたりに佇む人々。
高見の見物。
頑張って来て良かった。
良く考えたら、とても地味な観光地で、そんなに発展しているともいえないけれど、開放感もあるし魚も美味しいし、機会があったらまた来たいな。
帰りはお土産に濡れ煎餅を買って帰った。
コメント
コメント一覧 (2)
ありがとうございます。
私めも何度も犬吠埼の方には行ったつもりでしたが、また40overになってから行くのは趣きが違うのでしょうね。
電車に関しては、三つ子の魂百迄ということで、当時の標準的な鉄の知識しかありませんで、最近の皆様の専門的な知識には到底及びません。しかもそんなに乗ってもいないものですから、威張れるものは何もありません。ただ銚子電鉄が残っているのは奇跡だと思います。私めが鉄だった小学生の頃から考えても、かなりの廃線や廃業が出ていますから。
灯台はいい感じでした。あの佇まいから登ろうと決意させてもらったわけですからね。
そして、このような観光地も、震災の影響を受けているのかなと思って、震災直後は公開を断念した記事ですが、やっぱり公開することにしました。今になって思えば、こうやって写真を撮って来て良かったのかなと。
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