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鉄道博物館は、以前万世橋にあった交通博物館の後継施設としてさいたま市(大宮)に拡大発展的に開業したものだ。交通博物館時代にあった自動車や飛行機や船舶の展示をやめて鉄道だけに限ったことから、名称も「鉄道博物館」となっている。
万世橋の交通博物館には子供の頃に何度も行ったし、最後に2006年に行った(その時の記事)。
それから大宮にはナカナカ行けずじまいだった。
2015年4月1日に休みを取って午前中はカミさんと花見。午後から一人で大宮へ行くことにした。

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大宮駅からニューシャトル(新交通システム)に乗る。

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次の駅が鉄道博物館の最寄り駅だ。

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駅から直結。雨に濡れずに行ける。
結構大きな施設だ。

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行く途中にある展示。色々な車輪だ。

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一番大きなのはドイツの機関車の動輪で直径は2000mmある。2mだ。隣にあるD50の動輪は1400mm。サスガにコレはデカく見える。
日本の国鉄で一番大きかった動輪、C51/53/54/55/57/59/60/61/62の動輪は1750mm径だ。

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その横にあるTR212型台車。
多くの台車の基礎となったDT21系の付随車用台車と書いても解らない方には解らない。国鉄103系に用いられていた台車だ。台車の型番は鉄道模型をやっていれば嫌がおうでも詳しくなってしまう。

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ディスクブレーキがTR212の特徴でもある。
この展示は台車の構造が良く解るようになっている。

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そして167系電車の前面カットモデル。
これは万世橋の交通博物館から移設されたものだ。子供の頃、正面からよじ登って怒られた覚えがある。

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165系をベースに修学旅行用として作られた電車だ。頻繁に乗客が出入りすることが無いという想定で、165系よりも乗客扉の幅が狭く作られている。

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運転台。

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客席はテーブル付き。なかなか狭い。

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反対側から見たところ。客席2列分だけ残している。

この他、D51の前面カットも展示されていた。コレも万世橋から移設されたものだ。

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入場前からだいぶ興奮してしまったが、いよいよ入場。
券売機もハイテクだ。suicaなどのICカードが使える。

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エントランスも広々している。

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なるほど。

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入って左に食堂がある。
いやあ、このロゴ。
懐かしいですな。

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入って導かれるようにエスカレーターへ。
登った上からバーンと転車台周辺が見える。
すなわち最初っから一番の見所が訪れた。

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やはり実物車両がコレだけ揃うと迫力があるぞ。

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少し裏に入るとジオラマがある。

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やはりコレがないと。万世橋の交通博物館でも一番人気だったし、コレを見てから鉄道模型の世界に入った方も多いのではないかと思う。

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なかなか緻密に作られている。いいですな。

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下の階に行ってみる。

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1号機関車。やはり鉄道博物館だけにコレは見なくてはならないだろう。

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明治5年の出来事が全ての礎になったのだ。

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当時の新橋駅は後に汐留駅となり貨物駅としての役割を与えられる。
後に再開発されて現在の姿になるのだが。
現在の新橋は当初は電車用の駅として烏森駅として開業したものだ。東海道線の列車線のホームがあるのは、旧新橋駅が東海道本線列車の始発だった名残だろう。無論、地下鉄銀座線や都営浅草線に乗り換えが出来て、銀座にも歩けて、周辺で乗降客が最も多いという理由もあるのだろうけれど。

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北海道開拓時代に活躍した弁慶号。
万世橋の時は屋外に展示してあったっけ。

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昔の三等車のカットモデル。
木造ダブルルーフだ。

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今のクロスシートより狭い。
けど趣があるぞ。

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9350型蒸気機関車のカットモデル。

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マレー型といい、2気筒の駆動系が前後に2系統ある。丹那トンネル開通前の東海道本線、すなわち御殿場線で活躍した機関車だ。
「箱根八里はマレーで超える」
後にこの区間は国鉄蒸気最強のD52が活躍することになる。
その後は勾配用の165系/115系電車。
そして211系以降の世代の電車は、この急坂の区間は難なくこなしてしまう。

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長さが長くなるのでこういう仕掛けもある。
そういや急勾配区間はカーブが多くなるのは仕方ないことだし。

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中央本線で活躍したED17。
元々は英国製の機関車だが、故障が多く度重なる改造を受けている。
日本の技術も当時から大したものだったのだ。

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ED40。アプト式時代の碓氷峠を超えた機関車だ。当時は北陸新幹線はおろか上越線も開通していなくて、信越本線が東京から新潟などの日本海側を結ぶ大幹線だったのだ。
その後昭和6年に上越線が全通し、信越本線は東京と北信地区を結ぶ幹線という位置づけとなる。EF63/62の登場でアプト式は解消されて大幅な時間短縮を果たすが、それも新幹線の開業で横川ー軽井沢間は廃止されてしまった。

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アプト式のラックレールも再現されて展示されている。
そして66.7‰の勾配標も。

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機関車側のピニオンと噛み合う様子が良く見える。この歯車で急坂を登るのだ。

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しかも機関車の下に潜れるようになっていて、下からこの様子を眺めることも出来るのだ。
コレはスゴい!

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ナデ6110。明治〜大正に掛けて作られ、中央線や山手線で活躍した電車だ。

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当時は国鉄でなくて鉄道院だった。
一等車は白、二等車は青、三等車は赤い帯。

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室内も趣きがありますな。

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そして転車台に乗っているのはC57135。最も美しいとされる一次型C57だ。山口号に使われているのはC571で同じ一次型。四次型まで作られ、性能的にもバランスがとれており信頼性も高く、最後まで生き残った蒸気機関車のひとつとしても知られている。

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やはり美しいですな。

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隅にC51も展示されている。
C57が中型旅客用蒸機の完成型とすればC51はその礎となった機関車だ。出来た当時は最高性能の機関車で、東海道本線で特急つばめを牽引した。後継のC53が出来てからも現場ではC51の方が評判が良かったとか。C59の投入後に地方へ。
この機関車、昔は青梅鉄道公園に展示されており、小学校の遠足で皆でよじ登って記念撮影した覚えがある。いい時代だった。

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C51の運転席。いいですな。

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DD13。入れ替え用のディーゼル機関車だ。小型エンジンに液体式変速機を採用した国産名機だ。
かつては貨物ヤードが全国各地にあったのでDD13も全国で活躍した。
コレは旧塗装。

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モハ40。後のクモハ40。後期型で半流線型の前面をもつ。角形に比べてやさしい印象だ。
40系などのチョコレート色の電車は、101系以降の新性能通勤電車が出るまでは都内近郊や関西各線で活躍した。中央線・山手線・京浜線・総武線など主要な路線が101系/103系に置き換わったら、南武線や青梅線などで活躍した。モハ40は両運転台で、単行運転や増結など使い勝手が良かったのだろう。

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室内。いいですな。我々の世代がギリギリ「懐かしい」と感じる世代かもしれない。

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その隣にあるオハ31。17m級のダブルルーフ旧型客車だ。木造客車が主流だった中で登場した鋼体化客車だ。
Nゲージをやっていた方には馴染みのある形式だろう。関水金属(現KATO)は早くからこの形式をモデル化していた。

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車体は鋼製でもシートは木張りだ。
薄暗い照明も当時の雰囲気を盛り上げる。

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そしてその隣にあるのが展望車だ。

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マイテ39。他のマイテ58やマイテ49と共に「つばめ」「はと」に使用された。

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丸屋根だ。鉄道車両が切妻構造になったのはまだ先の話。

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豪華な室内。
一等車なので一等客しか乗れなかった。

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台車。TR73型。
当時乗り心地が良いとされていた3軸ボギー台車だ。

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標準軌への変更も考慮して、台枠を大きく作っていたとは知らなかった。

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キハ41000。初期の機械式ディーゼルカーだ。後に主流となる液体式が車で言うとATだとすると機械式はMTだ。現在では電気式が主流だ。コレはディーゼル発電機でモーターで走る方式。
今はハイブリッドも出ている。

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運転台は電車のそれと変わらないが、足元にクラッチペダルがあるはずだ。けど上手く撮れてなかった。

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室内。ホント殆どの車両の中に入ることが出来るのは素晴らしい。

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ED75だ。コレは700番台。奥羽本線/羽越本線交流電化に際して増備されたグループだ。その通りあけぼの号のヘッドマークを掲げている。

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クモハ455。交直両用の急行型電車だ。昔は特急は贅沢なもので庶民は急行に乗った。後に電化された地方は交流電化が多かったから、そこを走れるように急行型電車も交直両用が投入されたのだ。交流となると西日本は60Hz、東日本は50Hz。本形式も出力増強型や抑速ブレーキ追加などで451/453/455/471/473/475/457と種類があり複雑なのだ。

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ボックスシートが並ぶ室内。今や貴重ですな。
残念ながら車端部がロングシート化されていた。

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運転席。貫通路があるので狭くなっている。

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EF58。現役の頃は上野口でも東京口でも沢山走っており全く何とも思わなかったし、かえって箱形のEF57の方が渋く格好良く見えたが、今となってみたらとても流麗でカッコいい機関車だ。長さがあるのも貫禄がある。子供の頃は流麗さといえばEF66があったけど、そういう系の機関車は今では沢山ある。なので今となってみたらスマートで長いというのが格好良く見える。
出力はEF60以降の新型電機よりも低かったが、高速性能は引けをとらなかったという。なので長生きしたのだろうな。

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20系客車。ブルートレインの元祖だ。子供の頃、一度だけ銀河運用に入っていた20系に乗ったことがある。14系/24系にはその後何度も乗ったから、今思えば貴重な体験だった。

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クハ181。現役最後は新潟行きの「とき」で運用されたから、そのヘッドマークがついている。漢字と併用のヘッドマークがカッコ良かったな。後継の183系が進出してきていたが、何とか上越新幹線開通まで生き残った。
元を正せば東京ー大阪間のビジネス特急「こだま」に使用された151系だ。コレを上越線、後に中央線・信越線で運用するために、抑速ブレーキ装着で161系、出力増強して181系となった。コレを基礎に後継の183系、交直両用の481/483/485系、交流専用の781系などが登場したのだ。なので181系を見ると「初代ウルトラマン」の通ずるものがあるような気がする。

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室内。寒々としたシートの色だ。
昔の特急電車はこうだったな。

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クハ481。交直両方の特急型電車、481/483/485系の先頭車だ。ボンネット型なのが嬉しい。後に客室定員を増やすべくボンネット型は淘汰される。
ヘッドマークは上野口のエースだった仙台行き特急「ひばり」。東北新幹線の愛称として絶対に採用されると思っていたのに採用されなかった。

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室内。

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そして485系はクハだけでなく、モハ484も展示してある。コレがいい。

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何がいいかと言えば階段を上れば屋根上が見れるようになっているのだ。

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なので交直切替器が見えるようになっている。当時は直流モーターが主流で、交流区間では交流20000Vを直流1500Vに車両の方でAC→DC変換して電圧を落としていた。が直流区間ではこれらの変換変圧を経ずに直接機器に接続させるため、このようなアナログチックな変換機を用いているのだ。

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全国に広がった特急列車網。絵入りのヘッドマークが採用された後だ。
子供の頃、こんなポスターを見てワクワクしたものだ。

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昔の時刻表。なんと特急こだま号が登場した時のもの。ということは東北本線の優等列車は皆客車列車だったということになる。

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コチラは43年10月(ヨンサントー)改正の後。
東北本線は仙台行きの「ひばり」、秋田行きの「つばさ」、山形行きの「やまばと」、盛岡行きの「やまびこ」、青森行きの「はつかり」、そして会津若松行きの「あいづ」。これらが乱立して走っていた時だ。これらと、上越線方面は新潟行きの「とき」、金沢行きの「はくたか」、秋田行きの「いなほ」。信越本線の長野行き「あさま」、金沢行き「白山」。そして常磐線の「ひたち」、青森行きの「みちのく」。それに足して夜行の「ゆうづる」「はくつる」「あけぼの」「北星」「北陸」。その他数多ある急行列車も出入りしていた。
上野駅は大変だったのだ。

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その上野駅のモデル。
Always三丁目の夕日の映画で使われたらしい。

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やはりコレが無いと。
0系新幹線。

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数々の名列車・名車を廃止に追いやった張本人として、当時鉄道ファンからは悪役呼ばわりされていたが、現在では新幹線そのもののファンの方が多いのではないか。

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東京駅などのホーム下のピットが再現されている。
新幹線って本当にスゴいですな。

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そして最もお世話になった電車。101系中央線だ。幼少の頃に中央線沿線に住んでいたから何度も何度も乗った筈だ。

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900番台は試作車の証。モハ90型としてデビューしたグループだ。当時は10両編成オール電動車で高性能を狙ったが、電力事情から減車されてしまう。

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上からも見ることが出来る。
丸いグロベン(グローブ型ベンチレーター)が懐かしい。今は無いもんな。

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鉄道模型をやっていた人にとっては、この連結面もソソるものがありますな。

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もう何度も覗き込んだ運転台。
本当に懐かしい。

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車内。この無機質なインテリア。もう懐かしさを通り越して涙が出てきますな。

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窓にこんなのが貼ってあった。
昔、特別快速は国分寺には停まらなかったのですぞ。

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こんなのも貼ってあった。
おー。根岸線も全通していないし。京葉線はおろか埼京線も武蔵野線すらありません。池袋ー赤羽間は赤羽線と言って黄色い電車が往復してました。常磐線快速も柏には停まりません。総武線も快速はありません。千代田線も霞ヶ関まで。そして今は亡き下河原線がありますな。
そして、あくまでこの地図は電車区間のみですから、東海道線や東北本線・高崎線・常磐線や中央本線・総武本線の列車は載っていません。

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そしてコレもスゴい。
当時は国電が地下鉄に乗り入れるなんて画期的だったのでしょう。写真は新鋭301系。

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貨物列車の展示もある。

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そして何と言ってもEF66。当時抜群の性能と斬新なスタイルは貨物列車だけにしておくのはもったいないと思っていたら、晩年はブルートレインを牽引することに。

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レサ10000系鮮魚列車。
下関で新鮮な魚を積んで、直通の高速貨物列車で汐留まで運ぶという斬新な企画だった。

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しかし高速道路が全通すると小回りが利くトラックには勝てず。

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レサ10000系には専用の車掌車レムフ10000があった。

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車掌室の室内。一応トイレはあるが冷房は無い。

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列車が走り出せばやることも無いが居眠りするわけにもいかず、夏は暑くストーブがあるとはいえ冬は寒いだろう。ナカナカ過酷な業務だったのではないか。

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外に出てみた。

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なんと183系が雨ざらしで並んでいるではないか。

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それぞれ「あずさ」と「かいじ」のヘッドマークを掲げている。ヘッドとテールは逆のような気もするが。
いずれにせよ良く仕事でも乗った列車だから懐かしい。

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車内に入れるようになっている。

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家庭用のエアコンがついていて軽食が取れるようになっている。2人席と四人席が準備されている。

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外に出てみる。JRの本線側への引き込み線。

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博物館の場内へ続いている。なるほど。これは搬入搬出も楽だな。

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再び建物に入って上層階をエントランス方面に戻る。

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昔の悪評高いモハ63型の座席だ。

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ズラーっと年表形式での展示を見る。

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そして再びジオラマへ。

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本日最後の運転があるとのこと。
貨物列車が解説のもと次々と走る。

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解説はキレイなお姉サマでした。

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大ジオラマを堪能して外に出ると、小さなNゲージレイアウトがあった。

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なんか懐かしい。

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小さなスペースを上手く活かしていると思う。

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こういうの見ちゃうと、また鉄熱がふつふつと沸いて来るような気が。

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反対側に出てみるとミニ運転列車が。

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コレはすごい。

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いやあ楽しそうだ。

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たぶん乗ってしまえばそれだけのものかもしれないが、何より列車を運転する楽しみが得られそうな気がする。残念ながら今日は乗ることが出来なかった。

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他にもラーニングゾーンとか真面目な展示も多かった。
けど時間切れ。

好きな人ならば朝から晩まで居ても飽きないと思う。見所満載の鉄道博物館、家族連れで行ったらばお父さんが一人で熱中してしまうこともあるかもしれない。それだけシッカリとした展示内容だ。多くの車両の中に入れるのも非常に良くて、当時を思い出すには十分な内容だ。
これまでナカナカ行く機会が無かったが、思い切って行って良かった。