京都出張にひっ掛けて京都鉄道博物館へ行くことにした。金曜日宿泊して土曜日の朝から。
思い出せば中学1年生の頃、これの前身?の梅小路蒸気機関車館には親に連れられて一度だけ来たことがあった。あの時は機関庫の後ろに出る線路を、動態保存機のC612が微かな距離を一瞬だけ勇ましく走ったのを良く覚えている。その時は京都駅からタクシーで行ったかな。
今回は京都駅からテクテク歩いて行った。天気が良ければどうということはない。
そして現地でのチケット購入の行列を予測して予めコンビニで前売券を購入。そうしたとしても現地でチケット交換があるのだけれども、1から買うのと前売券を持っているのでは要する時間が相当違うのだ。前売券のおかげで直ぐに入場することが出来た。
場内へ突入。すごい人だ。
いきなりC62がある。
しかし、あっちの蒸気機関庫の方に栄光のスワローエンゼル2号機があるはずだ。
80系電車。初期型3枚窓だ。
日本の電車の歴史に大きな足跡を残した名車だが、保存されているのはここだけだ。あれだけ各方面に影響を与えた「湘南型」と呼ばれた2枚窓の車両は残っていないのだ。それは残念だ。
0系新幹線。現役時代は数々の人気在来線列車を廃止に追い込んだヒール役だった。
当時、鉄道マニアとしては興味の対象外だったこの車両も、時代が変わり多くの方の思い出の対象となった。
場内があまりにも人が多いので外に出てみると、昔の梅小路蒸気機関車館そのままだ。
よく出来たNゲージのジオラマが飾ってあった。
弁慶号。これは以前無かったな。交通科学館から持ってきたのか。
そういやC622とC571の両エースが居ないぞ。どうした?
これは後で理由が判明するのだが。
そして今日の目当てのひとつがこれ。「スチーム号」だ。
動態保存機が交代で客車を引っ張る。
僅かな距離だが実際に引っ張って動かすのだから大したもんだ。
何より中学生の時に走っていたC612が牽く客車に乗れるのだ。これは素晴らしいことだ。
11時の整理券をゲト。
こんなオープンデッキな客車に乗り込む。
最初はバック運転で出発。
本線脇の線路から梅小路公園脇に入り、そこで折り返し。
ほんと僅かな距離をのろのろ走るだけなのだが、それだけでも嬉しいのだ。
降りる時に機関車の横を通る。迫力満点の運転席。
大きなボイラー。やはり以前やまぐち号で見たC571より一回り大きい。
いやあ、当時の工業技術の粋を集めて作られたメカニズムだ。
ありがとうスチーム号。
ありがとうC612。
屋根の下に戻ると、食堂車ナシ20に行列が。
なんとナシ20の車内で食事が出来るらしい。
これはすごい。急がねば。
少し並んで入場。
日本食堂のカレーライスと生ビール。
いただきま〜す。
スタンダードなカレー。こういう時はこういうのがいいですな。
ナシ20は機関車と繋がっていた。現実にはこういう運用は無かった筈だ。もちろん入替の時は別だが。
そしてその機関車がDD54だ。子供の頃1番好きだったディーゼル機関車だ。
ドイツ仕込みの最新技術を用いた中型ディーゼル機関車で、ブルートレインを牽引したこともある。しかしその最新技術が仇となりトラブルを頻発したため早期に廃車になってしまった。その不遇感と他に無いドイツ風の直線的なカッコいいスタイルと妙な寸詰まり感が何とも愛らしく好きだったのだ。本当は運転窓がアルミサッシの初期型〜中期型がよりカッコいいのだが。
この機関車の失敗により、国鉄ディーゼル機関車は大型のDD51と小型のDE10の2極化が進むことになる。
そして館内に潜入。
おお、素晴らしい。
581系/583系は世界に類を見ない電車寝台特急だ。
そして昼間は寝台を畳んで座席特急としても走るという超効率重視というか、今ならブラック企業だとか言われそうな働かせぶりだが。現在も走っているサンライズ号は夜行寝台専用車だから趣がだいぶ違う。
普通の特急電車のベージュ+赤の塗り分けに対し、このベージュ+青の塗り分けは子供心にカッコ良くて。言うまでも無く子供の頃1番好きな電車だった。その後寝台列車の衰退と、昼は4人掛けボックスシート(ゆったりとしているとはいえ)という昼行特急にしては残念な室内設備から普通列車用に改造されたり急速に廃れてしまった。とはいえ先日まで現役車両が存在していたのだが。
この車両はクハ581。パッと見ただけでクハ583と見分けがつく人はマニアなんだろうな。簡単なんだけど。
クハ481。
交流区間も走れるようにして電車特急網を全国に広げた立役者、481系/483系/485系/489系の先頭車だ。
EF66。当時国鉄最強の電気機関車で、飛び抜けてカッコよかったから子供の頃1番好きな電気機関車だった。
現在も現役で走っている。ここではお立ち台に乗って下から見えることによって電気機関車の動力伝達等について説明している。
クハ181。世界初の電車特急こだま。当時はクハ151だったが、形式番号の整理で特急型は10の位を8にすることになり181系に改称。屋根上のヘッドライトを復元して151系時代の外観にしている。
昔は世界的にみても、長距離を走る列車は機関車が客車を牽引するものという発想だった。強力な機関車でグイグイ引っ張る。動力系のメンテナンスも機関車だけで済むから合理的だ。電車は短距離を走るもの。言うなれば路面電車的なイメージだったのだろう。
しかし乗客も増え編成も長くなってくると、特に加減速を考えたら動力を分散させた方が力は伝わりやすい訳なので、動力分散型の電車の方が合理的なのだ。
この電車特急こだまの成功から新幹線につながっていく訳で、それを実現した日本の鉄道技術は素晴らしいと思う。
この車両は運転台に登れるようで大混雑していた。
博物館というからには、このような資料展示も多数ある。
本当、しっかり見たら丸1日掛かりますな。
EF58。旧型電機の雄。
子供の頃は、あまりにもありふれていたし、間延びしたデザインがあまり好きでは無く、デッキ付きのEF57の方が断然カッコよく見えた。今、歳とって見ると、流麗なデザインがとてもカッコいいですなわ。人気があるのが解ります。
上層階から外へ出ると、バーンと転車台と扇形庫が見えるようになっている。これは素晴らしい。
先程のスチーム号が停まっている。
やはりカマに火が入っているというのは良いですな。
後ろにある建物の中を覗くと、C571が点検中であった。
なるほど扇形庫に居ない訳だ。と言うことは奥にいるのがC622か。ボイラーの太さ加減からして間違い無いだろう。
工場内が丸見えというのもマニア心をくすぐるものがある。
C622のテンダーが寂しく放置されていた。
早くご主人様が戻って来るといいな。
すると向こうからドラフト音を響かせてスチーム号がやってきた。
また来たいと思った。
コメントする